しなやかな心で高める
少しずつ固着を手放すと、静かな幸せと感動が待っている

 
現在の心のわだかまりや心の傷と感じている部分に触れたり、自分の思考パターンや思い癖に気づこうとするとき、そのプロセス楽観的に捉えるていけると近道になります。

気分と共に深刻になってしまう癖があると自分を追い込むことで気持ちが辛くなり、その結果、力を入れて頑張る方向へ向かい苦しみの中で何かを解決しようとしてしまいます。しかし、残念ながらそこには出口がありません。

また、原始的な脳の働きを持つ我々はその管理下にもあるために、変化を辛く感じるようになっています。気分に飲み込まれ深刻になってしまうと、修行的な意識に襲われ自分を厳しくどうにかしようとするときにダイレクトにその扉を叩いてしまいます。

このような無理をせずとも解放にスムーズさが感じられる状態とは、前向きな気持ちを保ち目的を意識していて知らず知らずの内に出口を通り抜け、新しい人生、新しい自分で生き始めているものです。

新しい自分とは大変静かにやってきます。快を伴う興奮と瞬間的な高揚感の感覚的な喜びを与えられて満足することではなくて、今まで深いところで求めていた慶が別次元で生活の中に現れ、少しずつ自己の関係性が強化されていく中で、継続的な感動とその愉しみがその都度巡ってきます。

まず、自分が嫌いなままでは変容はできません。修行的に自分を追い込んでいれば自分から嫌われ恐れられてしまいます。だからと言ってどうにかして自分を好きになる方法を模索して苦しみから解放されるのも出口は見当たりません。
二言論的方法から得られる解決というものは一時期的であり、またいつか堂々巡りに気づきます。

未来で同じ問題に巡り合わないようになると生きていることにゆとりを感じられ、事情が生じて感情が伴おうとも冷静で落ち着いた自分と共にいることがわかります。

小さな悟りを繰り返し得ていく姿勢は永遠に続きます。この姿勢が自分を高め、仲間を愛し大切にする気持ちを育てます。人は望めばどこまでも拡張できるようになっています。

一人ひとりが感じる「生きやすさ」に到達すれば、それは最高です。物質社会重視であろうと、5次元的精神重視であろうと、それらの統合型であろうと、本人が望む「生きやすさ」であれば比較は必要ないことです。魂的体験を一人ひとりが様々なベクトルで関わり合って、必要な体験を積み重ねているのですから。
今の自分を知ることと本当の自分が望むことを見極めていく中に「生きやすさ」が変化していく可能性があるのだと思います。


比較とは健全な形で自己に向けられていれば洞察となって自己を高めることができます。本当の自分(真我)が行きたい方向へ素直に従っている時に立ち会われれる現象とその解釈の仕方、または制御されていない本能的自我が行きたい方向へ進むときに立ち現れて来る現象とその解釈の仕方、それぞれの解釈レベルから得られる学びには大きな違いがあり比較が大いに役立っていきます。


現在の他者への扱いや感じ方は自分へ向けられてる扱いと同じだと気づけば、まずは複雑な自己構成と構造を知るための案内用のロープを手繰り寄せながら歩いていく理由を忘れないはずです。

地道にコツコツというイメージを捨てて、ただ前向きに素直に真剣に生きて
そして、いずれ知ることができる全体像を一緒に見に行きましょう。

新しいステージの始まりです。


メンターとして普遍意識から純粋にご案内します。